プレスリリース

           


平成28年9月9日
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
ブラウン大学(米国)
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)

顔の好みを好き・嫌い両方向に変化させるニューロフィードバック技術を開発
9月8日 14:00(米国東部時間)・PLoS Biology誌に掲載予定

本研究成果のポイント
  • 従来のヒト脳研究では、異なる脳領域がそれぞれ別の認知機能に関わるとされてきた。
  • 本研究では、最先端のニューロフィードバック技術(Decoded Neurofeedback, DecNef)を用い、単一の脳領域内の異なる活動パターンが、それぞれ異なる認知機能の変化を引き起こすことを証明した。
  • 具体的には、高次の脳領域(帯状皮質)にDecNefを適用し、重要な社会認知機能である顔の好みを、好き・嫌い両方向に変化させることに世界で初めて成功した。
  • 本成果は、帯状皮質が好き・嫌いという異なる認知機能の両方に関わることを意味する。
  • 本研究の過程でDecNefの高度化に成功、DecNefを低次・高次にかかわらずあらゆる脳領域に適用可能かつ認知機能を複数の方向に操作可能な技術に昇華させた。
  • 改良版DecNefを応用することで、精神疾患などの原因となる高次脳領域における活動ダイナミクス異常を改善するための新しい医療技術の開発が期待される。
  • 本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラムの課題『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』の一環として行われた。



概 要
(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)・脳情報通信総合研究所・脳情報研究所・行動変容研究室の柴田和久研究員、佐々木由香研究員(ブラウン大学准教授)、渡邊武郎室長(ブラウン大学終身栄誉学部長)、川人光男所長のグループは、大脳皮質の高次領域に特定の時空間活動パターンを引き起こすことで、被験者の顔の好みを好き・嫌い両方向に変化させられることを発見しました。
 本研究では、高次脳領域(帯状皮質[1])に着目し、重要な社会認知機能である顔の好みと帯状皮質の関係を調べました。著者らが開発したニューロフィードバック法(Decoded Neurofeedback, DecNef)[2]を用い、被験者に特定の顔写真を見せながら帯状皮質の活動を好き状態に近づけると、被験者はその顔をより好きになることがわかりました。同様に、帯状皮質の活動を嫌い状態に近づけると、被験者はその顔をより嫌いになることがわかりました。この結果は、顔の好き・嫌いという異なる認知機能の両方に、帯状皮質における特定の活動パターンが因果的に関わることを示唆します。
 本成果は、ヒト脳研究に重要かつ新しい方向性をもたらします。従来のヒト脳研究は主に機能局在論にもとづいており、異なる脳領域がそれぞれ別の認知機能に関わると考えられてきました。それに対し本研究では、単一の脳領域が複数の異なる認知機能に因果的に関わり得ることを、ヒトにおいて世界で初めて見出しました。これは、DecNefという脳活動パターン操作を可能にするアプローチによって初めて得られる成果です。
 また、本研究の過程において、DecNefの高度化に成功しました。第一に、脳の状態を異なる複数の方向に変化させることが可能になりました。第二に、DecNefは視覚皮質という比較的低次の脳領域に適用されてきましたが、本研究により、DecNefが低次・高次にかかわらずあらゆる脳領域に適用可能になりました。この改良版DecNefを応用し、これまで治療が難しかった精神疾患など、脳の時空間ダイナミクス異常に起因する疾患の革新的治療法の開発も、日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラム課題『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』の中で進めています。

背 景
 脳のそれぞれの領域はどんな認知機能に関わっているか?この問いをもとに、ヒト脳研究は脳の機能地図を作るという、機能局在論にもとづいた研究を推し進めてきました。機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging, fMRI)[3]を用いた研究などから、各脳領域がそれぞれ異なる認知機能に関わるといわれています。しかし、近年モデル動物を用いた研究は、単一の脳領域がさまざまな認知機能に関わることを明らかにしています。このような反局在論とも言える結果は、脳活動のパターンを測定・操作するアプローチにより検証可能になりますが、ヒト脳研究では、このようなアプローチは長らく困難でした。
 この困難は、2011年に著者らが開発した人工知能技術とfMRIを駆使した最先端のニューロフィードバック法(DecNef)によって克服可能です。DecNefを用いることで、脳領域に特定の活動パターンを誘導した結果、認知がどのように変化するかを調べることができます。単一の脳領域に異なる活動パターンを誘導した結果、それぞれ異なる認知機能に変化が起これば、その領域が複数の異なる認知機能に関わることを実証でき、ヒト脳研究においても、単純な機能局在論を超えた重要かつ新しいアプローチが可能になります。
 その第一歩として、本研究では高次脳領域である帯状皮質に着目し、帯状皮質に複数の活動パターンを誘導した結果、被験者の顔の好みを上昇・低下の両方向に変化させられることを示しました。

研 究 内 容
研究の流れを上図に示します。まず、400枚の顔写真に対する被験者の好み評定(1:嫌い、10:好き)を測定します(①事前評定)。次に、帯状皮質の活動パターンから被験者の好み評定を推定するデコーダを作ります(②好みデコーダ作成)。続いて、このデコーダを用い、特定の顔写真を提示しながら、被験者に自分で自分の帯状皮質に好き・嫌いに関係する活動パターンを誘導してもらう訓練を3日間行います(③DecNef訓練)。最後に、前述の400枚の顔写真に対する好み評定を再び測定し、結果を事前評定と比べることで、DecNef訓練によって顔の好みが変化したか検討します(①再評定)。

●好みデコーダ作成
DecNef訓練の前段階として、被験者が①の事前評定と同じ課題を行っているときの帯状皮質の活動をfMRIによって測定しました。人工知能技術の一種、スパース線形回帰アルゴリズム[4]を用い、帯状皮質の脳活動パターンと好み評定の関係を計算することができます(好みデコーダ)。この好みデコーダを一度計算してしまえば、現在の帯状皮質の脳活動パターンがより好き(好み評定=10)に近いのか、より嫌い(好み評定=1)に近いのかという、「好み評価の推定値」が得られるようになります。

●DecNef訓練
DecNef訓練の目的は、特定の顔写真に対し好みの変化を誘導することです。好き方向の変化を誘導する群(好き群、12名)では、顔写真をより好きにさせることを狙います。嫌い方向の変化を誘導する群(嫌い群、12名)では、顔写真をより嫌いにさせることを狙います。
 まず、画面上に顔写真が短い間提示されます。被験者は「画面に顔写真が提示されたら、どのような方法でもよいので自分の脳活動を変化させてください」と教示されます。その後、そのときの脳活動パターンがどれくらいよかったかを示すフィードバック(緑の丸)が提示されます。被験者は「この緑の丸をできるだけ大きくすること」を求められます。
 被験者がこの課題を行っている背後では、帯状皮質の活動をもとに、リアルタイムで緑の丸の大きさの計算が行われます。被験者が脳活動操作を行っている間の帯状皮質の活動パターンを好みデコーダに入力し、好み評定の推定値を計算します。丸の大きさは、推定値をもとに決まります。好き群では、推定値が大きいほど(10に近づくほど)丸が大きくなります。嫌い群では、逆に推定値が小さいほど(1に近づくほど)丸が大きくなります。
 しかし、被験者には上記の計算過程は知らされず、「緑の丸をできるだけ大きくすること」のみを求められます。すなわち、被験者は特定の顔写真を見ながら、知らず知らずのうちに自分の帯状皮質の活動パターンを特定の方向(好き群:好き方向、嫌い群:嫌い方向)に誘導していることになります。もし帯状皮質の活動パターンが因果的に顔の好みに影響を与えるとしたら、この3日間のDecNef訓練によって、訓練中に提示していた顔に対する好みの評定が変化することが期待できます。

●DecNefによる顔の好みの変化
右図は、DecNef訓練によって顔の好みがどのように変化したかを示します。正の値は、①の事前評定に比べて、④の再評定における好み評定の上昇を、負の値は減少を示します。DecNef訓練中に提示された顔写真に対して、好き群では有意な上昇が、嫌い群では有意な低下が見られました。一方、DecNef訓練中に提示されなかった顔に対しては、このような変化は見られませんでした。これらの結果は、DecNefによって顔の好みを好き・嫌いいずれの方向にも変化させられること、またその変化はDecNef訓練中に誘導した活動パターンと顔写真の連合によって起こることがわかります。

●脳活動パターン変化が大きいほど好みの変化も大きくなる
顔の好みの変化(上図)が、DecNefによって誘導された脳活動パターン変化を原因として起こっているのであれば、脳活動変化の度合いと好み選好の変化度合いの間に、相関関係があるはずです。左図は、それを裏付けています。横軸は、DecNef訓練中における各被験者の脳活動変化の度合いに対応しています。正の値は脳活動パターンがより好きな状態に近づいたことを、負の値はより嫌いな状態に近づいたことを意味しています。縦軸は、DecNef訓練中に提示されていた顔に対する、各被験者の好み評定の変化を示しています。両者の間には有意な相関が見られました。


●活動変化は帯状皮質に限局している
今回見られた好み評定の変化は帯状皮質の活動が変化した結果起こった、といえるでしょうか?DecNef訓練中に被験者に与えられたフィードバック(緑の丸)は帯状皮質の活動のみから計算されていましが、帯状皮質からほかの領域に活動が伝播し、伝搬先の領域で顔の好みの変化が起こったという可能性もあります。しかし、伝搬を定量化する解析の結果から、その可能性は低いことがわかりました。右図は脳の中央付近を側面から見た図で、赤色?黄色が伝搬の強さを表しています。伝搬の強い場所は帯状皮質内にほぼ限局されていることがわかります。すなわち、DecNef訓練中に活動が変化しているのは主に帯状皮質だけであるということです。従って、帯状皮質における活動変化が好み評定の変化を引き起こしている、といえます。

●被験者は実験の目的に気づいていない
前述のように、DecNef訓練中、被験者は「緑の丸を大きくする」ことだけ求められ、顔の好みが変化するという実験仮説については教示されませんでした。実験終了後に行ったアンケートからも、被験者は今回の実験仮説に気づいてはいなかったことが裏付けられています。すなわち、被験者は知らず知らずのうちに自分の帯状皮質に特定の活動パターンを誘導し、その活動パターンが顔の好みの変化を引き起こした、ということになります。


本研究の意義と今後の展望
●科学的意義
本研究では、DecNefを用いて帯状皮質の活動パターンを操作することで、顔の好き・嫌いという異なる認知機能を誘導できることを発見しました。従来のヒト脳研究は機能局在論にもとづき、異なる脳領域が別々の認知機能に関わるとしてきました。一方本研究では、単一の脳領域が複数の異なる認知機能に因果的に関わり得ることを明確に示しています。この成果は、DecNefを用いることで、今後ヒト脳研究においても、単純な機能局在論を超えた重要かつ新しい観点にもとづいた実証的研究が可能であることを意味しています。

●技術的意義
本研究の過程において、以下の2点についてDecNefの高度化に成功しました。第一に、これまで視覚皮質という比較的低次の脳領域にのみ適用実績のあったDecNefが、高次領域にも適用可能であることが示されました。これは、DecNefが低次・高次にかかわらずあらゆる脳領域に適用可能で、視覚から顔の好みまで、さまざまな認知機能を変化させられることを意味しています。第二に、DecNefによって顔の好みを好き・嫌い両方の方向に操作可能であることが示されました。これは、DecNefによって一度起こした変化を元に戻すなど、可逆的な操作が可能であることを意味しており、DecNefの安全性を示す成果といえます。改良版DecNefは、ヒト脳研究を、機能地図を作るという従来のアプローチから、脳活動パターンを操作し脳と認知機能の間の因果性を探るというアプローチにシフトさせる、革新的なツールとなりつつあるといえます。

●今後の展望
DecNefに代表されるニューロフィードバック法は、さまざまな医療応用が可能です。現在ATRは日本医療研究開発機構(AMED)脳科学研究戦略推進プログラムの課題『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』の枠組みの中で、国内の研究機関・医療機関と連携し、ニューロフィードバック法の医療応用を進めています。強迫性障害、慢性疼痛、自閉症、うつ、心的外傷後ストレス障害などの疾患を対象とし、すでに一部では介入研究が始まり、一定の成果が得られつつあります。DecNefを用いた訓練を通して疾患症状の改善をもたらすことができれば、従来の薬物療法や行動療法とは一線を画す新たな治療法として、DecNefは医療に多大な貢献をもたらすかもしれません。

●倫理面での懸念に対する対応
DecNefが基礎研究や臨床応用に広く浸透する過程で、倫理面に最大限の注意を払う必要があります。本研究では、DecNef訓練中、被験者はフィードバックである緑の丸を大きくするよう教示されたのみで、顔の好み変化を誘導していることには無自覚でした。被験者が自分で行っている脳活動パターン誘導の内容に無自覚であることは、これまでのDecNef研究に共通して見られる特徴です。この特徴は、基礎研究として有用である一方、今後研究が積み重なるなかで、一歩間違えれば洗脳とみなされる可能性も考えられます。生命倫理の有識者とも協力し、慎重な検討を実施しております。また、医療応用としても新しい技術であるため、DecNef介入の副作用、あるいは症状が逆に悪化するなど有害事象の可能性を慎重に排除する必要があります。
 このような懸念に対応するため、脳科学研究戦略推進プログラムの課題『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』では、2014年に外部有識者6名からなるDecNef安全性検討委員会を立ち上げました。同委員会では、6ヶ月毎に課題内でのDecNef実験施行数と有害事象の有無を確認、外部委員による審議を実施し、常に安全性を確認しながら研究を継続しています。
 また脳科学研究戦略推進プログラムには、専用の倫理相談窓口が設けられており、実験実施に必要な倫理審査申請書、説明同意書文書等はすべてプロトコルチェックを受けています。また不測の事態にも土日夜間でも相談可能な体制となっています。
 今後、実験や臨床介入を通して得られた知見について随時検討・議論し、その過程において適切な時期に情報公開を実施しながら、新しい基盤技術であるDecNefが安全に社会に浸透するための道筋を整備します。


論文著者名とタイトル
PLoS Biology誌(米国東部時間・2016年9月8日14:00公開)
Kazuhisa Shibata, Takeo Watanabe, Mitsuo Kawato, Yuka Sasaki: Differential activation patterns in the same brain region led to opposite emotional states. PLoS Biology. DOI:10.1371/journal.pbio.1002546 (2016)
研究グループ
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)・脳情報通信総合研究所
柴田 和久※1、渡邊 武郎※1、川人 光男、佐々木 由香※1(※1米国ブラウン大学と併任)

研究支援
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)・脳科学研究戦略推進プログラムによって実施されている「BMI技術を用いた自立支援、精神・神経疾患等の克服に向けた研究開発」の中の『DecNefを応用した精神疾患の診断・治療システムの開発と臨床応用拠点の構築』課題(代表 川人光男)の支援によって行われたものです。

また、研究参画者の一部は、以下の研究資金からの支援も部分的に受けています。
  • 日本学術振興会・海外特別研究員
  • 米国National Institute of Health (NIH)
  • 米国National Science Foundation (NSF)

補足説明
[1] 帯状皮質
大脳の内側面において、脳梁の辺縁を前後方向に走る脳回(右図の緑部分)。帯状回とも呼ばれます。さまざまな脳領域とつながっており、感情、学習、報酬、実行制御など、多くの機能との関わりが示されています。

[2] Decoded Neurofeedback (DecNef)
fMRI([2]を参照)と人工知能技術を組み合わせ、対象とする脳領域に特定の活動パターンを誘導する方法です。著者らによる先行研究(Shibata et al., Science, 2011)において、世界に先駆けて開発されました。

[3] 機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging, fMRI)
脳全体の血流量の変化を画像化する技術です。脳血流量は脳活動の度合いを反映しているため、この画像を解析することで、各脳部位の活動度合いを推定することができます。

[4] スパース線形回帰アルゴリズム
ATRで開発された人工知能技術のひとつ(Toda et al., NeuroImage, 2011)。計測したfMRIデータは、ボクセルとよばれる非常にたくさんのデータ点を含みます。しかし、すべてのボクセルが被験者の認知状態についての情報を持っているわけではありません。fMRIデータを用いて被験者の認知状態を精度よく推定するためには、この推定に関わるボクセルのみうまく選別する必要があります。スパースアルゴリズムを用いることによって、自動的かつ効率的にボクセルを選別することが可能になります。

お問い合わせ先
(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)経営統括部 広報担当
〒619-0288 京都府相楽郡精華町光台2-2-2
Tel: 0774-95-1176, FAX: 0774-95-1178, E-mail: kikaku@atr.jp
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