プレスリリース

周期運動は脳に易しい
-リズミカルな往復運動の生成と個々独立した到達運動の生成の違いを脳機能計測実験により解明-
科学誌「ネイチャーニューロサイエンス」へ掲載

平成16年9月27日
(株)国際電気通信基礎技術研究所
論文名 Rhythmic Arm Movement is Not Discrete      
(往復運動はひとつひとつの到達運動の繰り返しではない)

 歩いたり,噛んだり,カリカリひっかいたりという周期的反復運動は,ひと振りひと振りの単発の到達運動をつなげ,繰り返すことによってつくられていると考えられていました.ところが,南カリフォルニア大学,(株)国際電気通信基礎技術研究所(「けいはんな学研都市」略称ATR)の脳情報研究所,ペンシルベニア州立大学の共同チームは,手首運動中の脳活動を超高磁場機能的磁気共鳴装置(fMRI)で測定することにより,単発の到達運動を時々行うほうが,往復運動より広範囲の脳活動を要することを明らかにしました.これは,反復往復運動は到達運動を要素としてできているのではなく,反復往復運動の方がより簡単な脳の回路で実現可能であることを示唆しています.この成果は科学誌「ネイチャーニューロサイエンス」オンライン版(平成16年9月27日)に掲載されます.



本研究の一部は情報通信研究機構(NICT)からの研究委託「人間情報コミュニケーションの研究開発」プロジェクトにより実施したものである.
研究実施機関
南カリフォルニア大学
  准教授   ステファン シャール (ATR脳情報研究所)
ペンシルベニア州立大学
  准教授   ダグマー シュターナド
株)国際電気通信基礎技術研究所 脳情報研究所
  主任研究員 大須 理英子
  所長    川人 光男

連絡先:ATR脳情報研究所 大須理英子 osu@atr.jp
    京都府相楽郡精華町光台2-2-2 電話 0774-95-1221 fax 0774-95-1236
 解禁時間:(テレビ,ラジオ)平成16年9月27日午前3:00  (新聞) 平成16年9月27日付朝刊 

<概 要>
 歩く,走る,噛む,引っ掻くといったような,周期的な繰り返し運動(周期運動:rhythmicmovement)は,昆虫から霊長類に至るまで多くの生物で見られ,系統発生的に古いものであると考えられます.それに対して,腕をのばしてものをつかむ,スイッチを押す,ボールを蹴る,といったような,目標点に向かう単独一撃の運動(離散運動:discrete movement)は,比較的系統発生的に新しい種,特に霊長類でよく発達しています.ところが,これまでの運動についてのシステム神経科学の分野の研究は,ほとんどすべて,離散運動に注目しており,あたかも周期運動は離散運動を単に拡張したものであり,離散運動に使われる神経システムが周期運動にも使用されるという暗黙の前提で研究が進められてきました.一方で,多くの行動学的研究においては,周期運動にのみ注目し,あたかも離散運動は周期運動の特別な場合,すなわち周期運動を切り離したものが離散運動であるという前提で研究が進められてきました.
 そこで,南カリフォルニア大学,(株)国際電気通信基礎技術研究所(「けいはんな学研都市」略称ATR)の脳情報研究所,ペンシルベニア州立大学の共同チームは,離散運動をつなげたものが周期運動になるのか(図1a),そうでないのか(図1b,c)を明らかにする為に,超高磁場機能的磁気共鳴装置(fMRI)を用いた脳機能計測実験を行いました.11名の被験者が,fMRI装置の中で,右手首を上下する運動を行いました(図2a).周期運動条件では,被験者は滑らかかつ連続的に手首を上下させ(約1.5Hz),離散運動条件では,上から下に動かして止める,あるいは下から上に動かして止める運動を離散的に行いました(図2b).休息条件では運動しません.これらの条件間での脳活動を比較しました(図3).その結果,周期運動では,大脳皮質の左側の,右手首を動かすのに関連した部位のみが主に活動しました(左の一次運動野[M1],一次感覚野[S1],背側運動前野の後方[PMdc],補足運動野[SMA,pre-SMA],帯状回の後方[RCZp,CCZ]).それに対して,離散運動では,同じ右手首の上下運動であるにも関わらず,より多くの部位が活動していました.離散運動で特異的に活動した部位は,左側の大脳皮質の,背側運動前野の前方[PMdr],ブローカ野[BA44],頭頂葉[BA7,BA40],帯状回の前方先端部[RCZa],下前頭回[BA47]などでした.さらに,右側の大脳皮質と,左右の小脳にも多くの活動が見られました.これらの領野は,運動の実行そのものではなく,その前に行われる運動の計画に関わっていると考えられています.
 この結果から,離散運動を連続させたものが周期運動であるという考え方が間違っていることが明らかになりました.脳にとって,周期運動のほうが離散運動より簡単であるということは,周期運動が系統発生的に古いという見解と一致しています.また工学的にも,周期的なパターン生成器は比較的簡単に実現できることが知られています.今回の結果は,周期運動の理解が生体の運動の理解に重要であることを示しており,今後の研究の方向性に大きな影響を与えると予測されます.同時に,リハビリテーションや障害者のトレーニングプログラムになどおいても,離散運動と周期運動をどのように組み入れていくかについての示唆を与えると考えています.

図1 周期運動と離散運動の生成メカニズムとそこから予測される脳活動.a) 離散運動を繰り返すことで周期運動になると考えた場合.周期運動の脳活動は離散運動の脳活動を含みより広くなる.b)周期運動を切り離したものが離散運動になると考えた場合.離散運動の脳活動は周期運動の脳活動を含んでより広くなる.c)二つの運動が違う神経システムを必要とすると考えた場合.離散運動の脳活動と周期運動の脳活動は重なりを持ちつつもそれぞれに固有の部位をもつ.本実験では少なくともaではないことが明らかになった.bであるかcであるかは最終的にはっきりしなかったが,比較的bに近い結果であり,離散運動の方が周期運動の活動を含み,より多くの脳部位の活動を必要とした.すなわち,離散運動が周期運動生成メカニズムの助けを得て生成されるという可能性を支持している.

図2 全実験風景と手関節の動き.a)被験者は手関節を伸展屈曲(Extend,Flex)させる.b)手関節の伸展屈曲方向の角度の変化.上二つは第1実験の周期運動(Rhythmic),離散運動(Discrete)時の関節角度,下二つは第2実験において運動開始と終了の回数をそろえた場合の周期運動(RhythmicRest),離散運動(DiscreteRest)時の関節角度を示す.


図3 離散運動(DISCRETE),周期運動(RHYTHMIC),休息(REST)各条件での脳活動の差.休息条件と比較したとき,離散運動では(赤)周期運動より(黄)より広い範囲が活動しているのがわかる.また,離散運動時の活動から周期運動時の活動を引き算する(青:離散運動特有の活動)と,広範囲の活動が残り,しかもそれらの領域では,周期運動において活動が認められない.一方,周期運動時の活動から離散運動時の活動を引き算する(緑:周期運動特有の活動)と,限られた範囲の活動しか残らず,しかもそれらの領域においては,離散運動においても低いレベルではあるが活動が見られる.
   M1:一次運動野 S1:一次体性感覚野
   PMdr:背側運動前野前方 PMdc:背側運動前野後方
   RCZ:帯状回前方 CCZ:帯状回後方
   SMA:補足運動野 pre-SMA:前補足運動野
   BA44:ブローカ野 BA47:下前頭回
   BA40:頭頂連合野 BA7:補足感覚野

(添付資料)

研究の背景と詳細

運動に関連する脳の場所
片手で運動を行うと,その反対側の大脳皮質が主に活動することが知られています.右手の運動に直接関わっているのが左の一次運動野と一次体性感覚野です.さらに,運動前野,補足運動野,帯状回なども運動の実行に比較的直接関わっていると考えられています.これらの部位は,離散運動,周期運動,どちらにおいても活動が観察されました.それに対し,離散運動で特異的に活動がみられたブローカ野,頭頂葉,下前頭回,帯状回の前方,さらに右側の脳部位などは,目標に向かって腕をのばす到達運動や,複雑な系列の運動に関連して活動することが知られており,より複雑な計算に関連していると考えられます.

脳活動の計測方法
脳活動は,カナダの西オンタリオ大学にある,4.0テスラという高磁場のファンクショナルMRI装置を用いました.この装置は,実験当時,世界でも有数の高い磁場をもち,最も精度の高い測定ができる装置のひとつでした.実験結果は,SPM2という,世界で標準的に用いられているプログラムを使用して解析しました.

離散運動に特異的な脳活動は観察されたか
離散運動で特に活動が大きくなったのは,一次運動野,一次体性感覚野,補足運動野,帯状回の後方などでしたが,これらの部位は,離散運動でもレベルは低いですが活動が見られています.従って,今回の実験結果では,周期運動にのみ関連する脳部位は発見できず,どちらかといえば,離散運動は周期運動生成のメカニズムの助けを借りて生成されるという見解を支持するものとなっています.

運動の開始,終了の回数の違いについて
離散運動には,周期運動より多くの回数のスタートとストップが含まれています.そのために離散運動の活動が多くなっているように見えるのではないかという可能性を排除する為に,第2実験では,スタートとストップの回数が同じになるようにしました(図2bの下2つ).すなわち,周期運動にも時々運動のスタートとストップがはいります(周期+休息条件:RhythmicRest).一方,離散運動はそれと同じ数のスタートとストップなので,運動回数は非常に少なくなります(離散+休息条件:DiscreteRest).にもかかわらず,第1実験とほぼ重なる部位に活動が見られました(図4a).さらに,この第2実験の周期+休息条件と第1実験の周期運動条件の脳活動を引くことにより,スタートとストップに主に関連すると思われる部位が頭頂連合野,前補足運動野,帯状回の前方先端部,同側小脳であることがわかりました(図3b).それ以外の場所,すなわち,背側運動前野前方,補足感覚野,下前頭回については,離散運動そのものに関係することになります.

離散運動において自発的にランダムなタイミングを作り出す認知的負荷について
第1実験において,離散運動条件では,被験者は自分でランダムに運動を開始しなければなりませんでした.それが認知的負担を上昇させ,脳活動に反映しているのではないかという可能性を排除するために,第3実験ではメトロノームで運動のタイミングをガイドしてやりました.その結果,全体的に活動レベルは少し低下するものの,第1実験とほぼ同じ部位が活動しており,離散運動での広範囲の脳活動は認知的負荷によるものではなく,離散運動の生成そのものに関係することがわかります.

研究の意義と今後の展望
今回の実験結果から,脳にとっては,周期運動のほうが離散運動より簡単であることが明らかになりました.これは,離散運動を連続させたものが周期運動であるという従来の神経科学の暗黙の前提となっている考え方が間違っていることを示します.逆に,周期運動が離散運動の基礎となっている可能性があり,今後の研究において,周期運動のメカニズムを理解することが運動制御全般を理解するために重要であることを示唆しています.また,脳にとって周期運動のほうが易しいという事実は,例えば,運動機能リハビリテーションや障害者のトレーニングプログラムにおいて,離散運動と周期運動をどのように組み入れていくかについての示唆を与えると考えています.

図4 第2実験において,運動のスタートとストップの回数をそろえた場合の結果.a) 離散+休息(DiscreteRest),周期+休息(RhythimicRest)各条件での脳活動の差(青と緑)を第1実験の結果(赤と黄)と比較.離散+休息条件では,周期+休息条件よりも運動量が大変少ないにもかかわらず,第1実験と重なる多くの部位の活動が観察される.b)第2実験での周期+休息から,第1実験の周期運動条件をひいた結果.運動のスタートとストップに主に関係する場所であると考えられる.