プレスリリース

                                 

2015年1月6日
株式会社国際電気通信基礎技術研究所

安静にしているときの脳活動から作業記憶トレーニング効果の個人差を予測することに成功
~認知機能を回復させる方法の開発に大きく前進~

概要
【成果】
ATR脳情報通信総合研究所の山下真寛·川人光男·今水寛は、ヒトが安静にしているときの脳活動から作業記憶トレーニング効果の個人差を高い精度で予測することに成功しました。この成果は、Nature系の国際科学誌「Scientific Reports」(電子版: 英国時間 2015年1月5日10:00am公開)に掲載されます。

電話番号などを短時間記憶する作業記憶は、人間の知的な活動にとって重要な機能です。本研究では、機能的磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging, fMRI)装置を用いて、5分間安静にしているときの脳活動を計測しました。得られたデータから脳内の領域と領域の繋がり方を調べ、個人ごとの脳の配線図を作成しました。配線図の違いから、その人が作業記憶のトレーニングを受けたときに、どれくらいまで成績が良くなるかを、トレーニングを行う前から,高い精度で予測することに成功しました。さらに、予測に重要な手がかりとなった繋がりを検討し、作業記憶向上の鍵となる脳のネットワークを特定しました。

【今回の成果により期待されること】
作業記憶は、さまざまな精神疾患や加齢により顕著に低下する認知機能です。本研究は、比較的年齢の若い健常者を対象としましたが、疾患者や高齢者に対象を広げることで、精神疾患や加齢で認知機能が低下するメカニズムの解明や、認知機能を回復・低下を防止する方法の開発に貢献することが期待されます。



背景
作業記憶をトレーニングすることで、脳の老化を防止したり、知的な活動を高めたりする試みが多数行われていますが、その効果について、一致した見解が得られている訳ではありません。しかし、トレーニングによって、どれほど作業記憶の成績が良くなるかには、かなり個人差があることが知られています。作業記憶を使っているときに活動する脳の領域と、作業記憶成績の関係を調べた研究は、以前からありますが、トレーニングの効果が、どのような個人的な要因で決まるのかは解っていませんでした。脳はさまざまな領域に区分されますが、どの領域も他の多くの領域と相互に結びつき、複雑な情報ネットワークを構成しています。本研究では、脳全体のネットワーク構造に、効果を左右する要因があると考えました。そこで、個人の脳のネットワーク構造を調べ、トレーニング後にどれほど成績が良くなるかを予測することで、この考えを実証しました。

研究内容
実験参加者に、fMRI装置の中で5分間安静(体を動かさない、特定のことを考え続けない)にしてもらい、脳活動を計測しました。脳は大きく分けると、18の領域に分割できます(図1a:左側)。得られたデータから、それぞれの領域の活動が5分間でどのように変動していたかを調べ、2つずつペアにして領域間での変動の類似性(時間相関)を求めます。また個々の領域内でも類似性を調べます。変動の類似性は、領域間や領域内の結びつきを知る上で重要な手がかりとなります(補足説明①参照)。類似性の指標(相関値)を、領域間で総当たり戦の対戦表のように並べると、個人の脳における領域の繋がり方をパターンとして表すことができます(相関表:図1b)。これは個人に特有な脳の配線図(右上)と言えます。

別の日に、同じ参加者に作業記憶トレーニングをしてもらいます。コンピュータ画面に次々に文字を出します。参加者は、提示された文字が3つ前の文字と同じならばボタンを押します。これは3バック課題と呼ばれ、連続した3つの文字を次々に覚える必要があり、比較的難しい作業記憶課題です。約90分間トレーニングを行うと、次第に成績は向上し、やがて成績は上限に達します。この上限は個人によって異なります。

トレーニングによって成績が向上した参加者は17人いましたが、その上限は様々でした。そこで、この17人について、脳活動の相関表から、個人の成績の上限をスパース線形回帰法(補足説明②参照)という計算プログラムを用いて予測しました。図2は、17人それぞれについて、安静時の脳活動から予測した成績の上限(横軸)と、実際にトレーニングを行ったときの上限(縦軸)の関係を示します。予測と実際の上限がほぼ等しく、全体として高い精度(73%)で予測できていました。トレーニングを行う前から結果を予測することも可能でした。

次に、上限を予測するために重要な手がかりとなったのが、脳のどの領域とどの領域の繋がりであったかを調べました。図3は、重要な手がかりとなった9つの繋がりを示しています。円の周辺は18の脳の領域、領域の色はその領域がどれくらい作業記憶で活動するか(作業記憶との関連度·過去の研究データから算出)を示します。領域と領域を繋ぐ9本の線の太さは、予測にとっての重要度を示しています(太いほど重要)。線の色は、赤が正の相関(一方が活動すれば一方も活動する)、青は負の相関(一方が活動すれば、一方の活動は抑制される)を示しています。重要度が最も高いのは、従来、作業記憶に関連すると言われていた領域①内の繋がりでしたが、それだけでは半分程度の予測しかできません。その他にも、注意の方向を定める領域③と、ボタンを押すための手の運動に関連する領域⑪の繋がり、作業記憶に関連する領域(赤∼オレンジ)とあまり関連しない領域(緑∼青)の抑制関係(6本の青い線)も重要な役割をしていることが解りました。結論として、作業記憶に直接関わっている領域は重要ではあるが、その領域と他の領域との繋がり方も同程度に重要であることが解りました。つまり、脳全体のネットワーク構造がトレーニング効果を左右していました。

今後の展望
本研究では、比較的年齢の若い健常者を対象としました。対象を精神疾患者や高齢者に広げ、疾患や加齢で認知機能が低下するメカニズムの解明や、低下した認知機能を回復させる方法の開発に貢献することが期待されます。また、わずか5分の安静時の脳活動計測で、トレーニングの結果を予測することに成功しています。安静時の脳活動には遺伝や経験による個人の特性が現れているので、事前予測が可能になると考えられます。教育やリハビリテーションで、作業記憶に限らず、さまざまな学習法やトレーニング法の効果を、安静時の脳活動から事前に予測できるようになれば、個人の特性に合った効率的な学習やトレーニングが行えると考えています。

<補足説明>
①変動の類似性から領域の結びつきを知る :類似性が高い(相関が高い)領域同士は結びつきが強く、類似性が低い(相関がゼロに近い)領域同士は結びつきが弱いと考えられます。また逆方向の変動(負の相関)をしている領域同士は互いを抑制する(一方が活動すれば、一方の活動は抑えられる)関係にあると考えられます。
②スパース線形回帰法 :手持ちのデータの中に有用な規則を見出し、未知のデータについて予測する数理統計法のひとつです。大量のデータから、予測にとって重要なデータの特徴を効率良く選び出すことができるという特長があります。ATR脳情報解析研究所で開発されました。

【論文情報】
Scientific Reports誌(電子版: 英国時間 2015年1月5日10:00am公開)
Yamashita, M., Kawato, M. & Imamizu, H. Predicting learning plateau of working memory from whole-brain intrinsic network connectivity patterns. Sci. Rep. 5, 7622; DOI:10.1038/srep07622 (2015)

【研究グループ】
本研究は、ATR脳情報通信総合研究所·認知機構研究所の山下真寛研究員 (やましたまさひろ;奈良先端科学技術大学院大学·博士課程)、ATR脳情報通信総合研究所の川人光男所長(かわとみつお;奈良先端科学技術大学院大学、情報通信研究機構·脳情報通信融合研究センター)、ATR脳情報通信総合研究所·認知機構研究所の今水寛所長(いまみずひろし;情報通信研究機構·脳情報通信融合研究センター)の共同研究成果です。
∗( )内は氏名よみ、兼務先を表記。

【研究サポート】
本研究は、奈良先端科学技術大学院大学、情報通信研究機構との共同で行われました。fMRI計測については、ATR脳活動イメージングセンタの協力を得ました。本研究は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムにより実施された「BMI技術を用いた自立支援、精神·神経疾患の克服に向けた研究開発」の成果です。また、成果の一部は、総務省委託研究「脳の仕組みを活かしたイノベーション創成型研究開発(高精度脳情報センシング技術·脳情報伝送技術、実時間脳情報抽出·解読技術及び脳情報解読に基づく生活支援機器制御技術)」によるものです。また、一部は日本学術振興会科研費26120002の助成を受けたものです。




【図1】脳領域間の変動の類似性から、個人の脳内の繋がり方を解読する。 a)18の脳領域(赤−黄色の領域:Laird らによる分割法)が5分間の安静時にどのように変動していたかを調べ、領域間と領域内の変動の類似性(時間相関)を計算する。b)18の領域間·領域内での時間相関を表にしたもの。個人の脳に特有な繋がり方のパターンを表す配線図とも言える。 (参考:Lairdら, Journal of Cognitive Neuroscience, 2011, 23(12), pp. 4022−37)

【図2】脳活動から予測した作業記憶成績の上限(横軸)と実際に作業記憶トレーニングを行ったときの成績の上限(縦軸). ひとりの参加者がひとつの丸に対応する。どの丸も45°の直線(太線)の近くにあり、予測と実際の上限がほぼ等しく、高い精度で予測できていたことを示す。●はトレーニングの前に、○はトレーニングの後に、脳活動を計測した参加者。●の参加者については、トレーニングを行う前から、結果を予測できていた<ことになる。

【図3】成績の上限を予測する際に重要な手がかりとなった脳領域の繋がり(円の中の線)。 線が太いほど重要な手がかりとなったことを示す。赤は正の相関,青は負の相関を示す。18の領域の色(時計回りに赤−オレンジ−緑−青)は、作業記憶との関連性の強さを示す(Lairdらによる過去の研究の統合結果から)。