プレスリリース

国立大学法人東京大学
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
運動主体感の脳内過程を初めて解明
-「まさに自分が運動している」という感覚を脳活動から定量化することに成功-
1.発表のポイント
  • 「まさに自分が運動している」、「運動の主体は自分である」という感覚を運動主体感と呼びます。この運動主体感が感じられるようになるまでの脳内の過程を初めて解明しました。
  • 自分と他人のどちらが運動の主体なのかが徐々に明らかになる独自の実験課題と、機械学習による脳情報の解読技術の組み合わせにより、運動主体感のレベルを脳活動から定量的に予測することに成功しました。
  • 運動主体感の促進によるリハビリテーションの効率化や、主体的に運転しているように感じられる自動運転技術の開発などへの応用が期待されます。
2.発表概要:
 運動主体感とは、他の誰でもなく自分が運動を行っている本人(主体)であるという感覚のことです。 統合失調症などの精神疾患により運動主体感が失われると、自分で運動しているにもかかわらず、誰か他の人に操られているような体験をする場合があります。 この運動主体感に関わる脳の領域は、これまでいくつか解明されてきましたが、これらの領域がどのように役割を分担することで、人が運動主体感を感じられるようになるのかは明らかではありませんでした。
 東京大学大学院人文社会系研究科の大畑龍特任研究員と、ATR認知機構研究所の浅井智久研究員らは、機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging、以下fMRI、注1参照)を用いた実験を通して、上記の問題を初めて明らかにしました。 これは、運動の主体が自分と他人のどちらなのかが、徐々に明確になる独自の心理実験課題と、実験参加者がどの程度自分の運動だと主観的に感じているのかを脳活動から予測する脳情報の解読技術の組み合わせにより可能となりました。
 脳卒中・脳変性疾患による運動麻痺や、加齢に伴う身体機能の低下により、運動主体感を感じにくくなってしまうことがあります。今回の研究結果は、脳活動をもとに運動主体感のレベルを定量化できることを意味します。 この研究手法を応用すれば、例えば、運動主体感を高めることで運動機能の回復を促す効率的なリハビリ手法の提案が可能になると期待できます。

3.発表内容:

【研究背景】私たちが体を動かすとき「まさに自分が運動している」、「運動を引き起こしている主体は自分である」という運動主体感を得ることができます。 この感覚は、普段はとりたてて意識しないものですが、統合失調症などの精神疾患により運動主体感が失われると、自分で運動しているにもかかわらず、誰か他の人に操られているような体験をする場合があります。 また、自動車やスマートフォンなどの操作では、ユーザーが「まさに自分が操作している」と感じられることは、自然で使いやすい機器であるために欠かせません。 スマート社会の進行により、自動運転など身の回りの様々な機器が自動化され、その主体が機器に委ねられることが多くなりました。 しかし、依然として、危険回避などの重要な操作では人間が主体的に行う場面が多く残されています。 自動化しつつも、いかにユーザーに運動主体感を感じさせるかという点は、様々な機器の自動化が進む昨今、注目されている重要な観点です。

【従来研究の課題点】運動主体感に関わる脳の領域を調べた研究はこれまでも行われてきましたが、その多くは、ボタンを押すような一瞬の運動で調べられてきました。 これらは、人が運動主体感を感じられるようになるまでの過程を分析するには運動時間が短く、その脳内の過程は明らかとなっていませんでした。 特に、運動主体感に重要とされる、運動をコントロールする働きと、自分が主体であるという感覚を感じとる働きが脳内でどのように役割分担されているのかは未解明なままでした。

【研究手法】そこで、今回の研究では、運動の主体が徐々に明らかになる独自の実験課題を用いて、未知であった脳内の過程を明らかにしました。 18名の実験参加者(20-42歳: 平均年齢25.9歳、男性12名、女性6名)に、fMRI装置の中で、ジョイスティックを操作する運動課題を実施してもらいました。 参加者は、ジョイスティックを操作して画面上のカーソルを動かし、10秒かけて5山の波線をなるべく正確になぞることが求められました。 このカーソルの動きは、参加者の課題実施中のジョイスティックの動きと、事前に記録されていた他人のジョイスティックの動きが、ある一定の割合で混ぜ合わされていました(図1)。 このようなカーソルを操作すると、参加者は最初、自分の動きかどうか分からない状態から運動をスタートしますが、運動を進めていくに従って徐々にどの程度自分の動きであるかが明確になっていきます。 各課題実施の直後に、参加者にはカーソルの動きがどの程度自分の動きらしいと感じたかを9段階で回答してもらいました (1= 完全に他者 ←→ 9= 完全に自分)。

【主な研究結果】脳情報の解読技術(注2)を用いることで、この課題を行っている時にfMRI装置で計測した脳活動データから、参加者の9段階の回答を予測しました。 その結果、運動野や頭頂葉、島皮質、高次視覚領域(中側頭回など)の活動から参加者の回答を予測することができました(図2)。 しかし、このままでは、これらの領域がどのような役割をしているのかは不明です。従来の研究では、運動主体感には、「脳内で予測された運動」と「実際の運動」の「ずれ」が重要であることが示唆されてきました。 そこで、ジョイスティックの動きのデータから、「参加者が予測したカーソルの位置」と「実際に画面上に表示されたカーソルの位置」のずれの大きさ(図3)を調べました。 その結果、このずれが参加者の回答を説明する重要な指標であることを発見しました。このずれの大きさも脳情報の解読技術を使って脳活動から予測し、回答の予測精度と比較しました。 これらを比較することで、回答を予測できる図2の領域が、ずれの大きさを計算する役割を担っているのか、運動主体感を感じとる役割を担っているのかを明らかにすることができます。 その結果、左右の運動野や左の頭頂葉は、ずれの大きさに対する予測の精度が高いことが解りました(図4の領域③、⑤、⑦、⑨)。 一方で、右の縁上回(頭頂葉の一部)は回答に対する予測精度の方が高いという結果になりました(図4の領域⑮)。

【結果の意味】今回の結果は、これまで運動主体感に関係すると一括りにされていた脳の領域の役割分担を明らかにしたと言えます。 具体的には、「予測した運動結果(=カーソルの位置)と実際の運動結果のずれの計算」に貢献する領域と、「自分が主体であるかどうかを感じとる働き」に貢献する領域が分かれていることを示しました。 さらに、運動主体感が感じられるまでに、それらの領域が、どのような時間過程で貢献しているのかを、脳内の時空間マップ(図4)として明らかにしました。

【今後の展望】運動主体感は、脳卒中や脳変性疾患による運動麻痺、あるいは加齢に伴う身体機能の低下などにより、感じにくくなってしまう場合があります。 懸命なリハビリにより、身体機能はある程度回復したとしても、自分が運動したという意識的な部分までは回復に至る保証はありません。 今回の研究で用いた独自の研究手法は、普段は漠然と感じている運動主体感を、脳の活動をモニタリングすることで定量化することを可能にします。 これにより、運動機能と同時に運動主体感も回復するような最適なリハビリ手法の提案が期待できます。また近年のAI技術の発展により、急速に自動運転の開発が進んでいます。 重要な操作は人間が行う必要のある現状では、自動走行時に運動主体感を維持できるかどうかが、突発的な危険への対応を大きく左右します。 また、全ての操作をクルマに委ねられるようになったとしても、従来感じられていた運転の楽しさを感じられなくなる可能性が十分に懸念されます。 今回の手法を応用することで、自動走行時のドライバーの運動主体感を定量的に評価することができます。 どんな運転方法であれば自動運転でも運動主体感を感じ続けられるのかを探ることで、十分な運動主体感を感じながら運転できる楽しく安全な自動運転技術の開発につなげられると考えています。

【研究グループ】本研究は、東京大学大学院人文社会系研究科の大畑龍研究員(おおはたりゅう)、 ATR認知機構研究所の浅井智久研究員(あさいともひさ)、高知工科大学情報学群の門田宏准教授(かどたひろし)、繁桝博昭教授(しげますひろあき)、 北海道大学大学院文学研究院の小川健二准教授(おがわけんじ)、東京大学大学院人文社会系研究科の今水寛教授 (いまみずひろし/東京大学大学院工学系研究科人工物工学研究センター/ATR認知機構研究所)の共同研究成果です。

*( )内は氏名よみ、兼務先を表記。

4.発表雑誌:
雑誌名: Cerebral Cortex(オンライン版:3月19日)
論文タイトル:Sense of agency beyond sensorimotor process: Decoding self-other action attribution in the human brain
著者:Ryu Ohata*, Tomohisa Asai, Hiroshi Kadota, Hiroaki Shigemasu, Kenji Ogawa, Hiroshi Imamizu*(共同筆頭著者、*責任著者)
DOI番号:10.1093/cercor/bhaa028
アブストラクトURL:https://doi.org/10.1093/cercor/bhaa028

5.注意事項:
  日本時間 3月19日(木)午後2時 (イギリス時間:19日(木)午前5時)以前の公表は禁じられています。

6.問い合わせ先:
国立大学法人東京大学 大学院人文社会系研究科・文学部
担当:総務チーム
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
Email: shomu@l.u-tokyo.ac.jp Tel: 03-5841-3704  Fax: 03-5841-3817

(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
経営統括部 担当:企画・広報チーム
Email: pr@atr.jp  Tel: 0774-95-1176

7.研究支援:
本研究は、日本学術振興会・新学術領域研究 (研究領域提案型、領域名:身体-脳の機能不全を克服する潜在的適応力のシステム論的理解)の計画研究「超適応を促す身体認知・情動機構の解明」の一環として行われました(科研費番号19H05725)。
本研究の一部は、科研費番号26120002、18H01098、19H05725、15J05135、17K13971から支援を受けました。 本研究の一部は、国立研究開発法人情報通信研究機構委託研究「脳機能補完による高齢者・障がい者の機能回復支援技術の研究開発」、 国立研究開発法人日本医療研究開発機構・戦略的国際脳科学研究推進プログラムの「脳科学とAI技術に基づく精神神経疾患の診断と治療技術開発とその応用」 課題 (JP18dm0307008)として行われました。

8.用語解説:
(注1) 機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI):
核磁気共鳴(MRI)を利用して、神経活動に伴う脳内での血液の流れを可視化する方法。高い空間解像度で神経細胞が活動する部位を検出することができます。

(注2) 脳情報の解読技術:
脳活動のパターンからヒトの知覚体験や心的内容を可視化する技術(脳情報デコーディング)。 機械学習の手法を用いて、脳活動の複雑なパターンと知覚体験との対応関係をコンピュータに学習させることで、脳画像だけからどんな知覚体験をしているのかを予測することができます。 本研究では、課題を実施している時の脳活動のパターンと参加者がどれくらい運動の主体だと感じているかの回答との対応を学習し、予測の精度を脳の色々な場所で比較しました。

9.添付資料:

【図1】実験参加者がfMRI装置の中で行った独自の実験課題

参加者は、ジョイスティックを操作して画面上のカーソルを動かし、波線をできるだけ正確になぞるように求められました。 カーソルの動きは、自分の操作だけではなく、あらかじめ記録されていた他人の動きがある一定の割合(α)で混ぜ合わされ表示されていました。


【図2】どの程度自分の運動だと感じていたかを脳活動から予測できる領域

脳情報の解読技術を利用して、参加者がどの程度自分の運動だと感じていたのかを予測しました。 赤の領域の脳活動を用いることで、参加者の回答を予測できることが判明しました。運動野: 運動の生成や制御に関わる領域。 頭頂葉: 触覚などの体性感覚の処理や、視覚情報と体性感覚情報の統合、手や腕の運動制御などの機能に関わる領域。島皮質: 情動や共感、自己意識などの機能に関わる領域。 中側頭回: 画面上の物体の運動方向など視覚運動の知覚などに関わる高次視覚領域。


【図3】「参加者が予測したカーソルの位置」と「画面上に表示されたカーソルの位置」のずれ

他人の動きが混ざっている状況では、参加者が予測するカーソルの位置と実際に表示されるカーソルの位置は異なると考えられます。 参加者は実験前に、他人の動きを混ぜ合わせない状態で、波線をなぞる練習を繰り返していました。 そのため、本研究の分析の中では、参加者が予測した画面上のカーソルの位置は、混ぜ合わされる前の参加者自身のジョイスティックの位置と同じになると仮定しました。 カーソルとジョイスティックのずれの大きさ(赤い矢印)が、参加者の回答の違いをよく説明する指標であることが明らかとなりました。


【図4】 回答の予測精度とずれの大きさの予測精度の比較

(A)脳情報の解読技術で参加者の回答を予測できる領域(図2と同じ領域)に色を付けて表示しています。 その中でも、青色の領域は、ずれの大きさに対する予測の精度の方が高く、赤色の領域は回答そのものの予測精度の方が高いという結果になりました。 (B)15の領域の予測精度の違い(効果量)を低い値から順番に並べています。 回答に対する予測精度の方が、ずれの大きさに対する予測精度よりも高い値であれば正の値となるように計算しています。