プレスリリース

2021年11月11日

株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
コロナ禍はメンタルヘルスの異なる要因に異なる時間で影響を及ぼす
~社会からの隔絶が長期的に進行~
11月11日 10:00am(英国時間 同日1:00am)・Translational Psychiatry誌オンライン版に掲載

本研究成果のポイント
  • 長引くコロナ禍により私たちは深刻なストレスにさらされています。大規模データを用いて、コロナ禍がメンタルヘルスに与える影響の時間的な経過を統計的に調べました。
  • インターネットで得られた、20~60歳代の男女3,935人の9種の精神症状のアンケートの回答を主成分分析で調べた結果、コロナ禍の精神的影響は大きく4つの要素に分かれ、それぞれ異なる時間経過を取ることがわかりました。
  • 最も懸念されていた不安やうつを中心とした問題の悪化は、コロナ禍初期にピークを迎えた後、徐々に快方に向かいました。収入の減少がこの問題の重要なリスクでした。一方、社交不安やインターネット依存の問題が1年半にわたって悪化し続けています。どちらも社会からの隔絶を強めるリスクであり、社会との良い関係を維持したり新たに育てることが、コロナによる社会からの隔絶を解決する鍵と考えられます。
概 要
 自宅にひきこもりがちになった家族や友人、気分が落ち込んで出社ができなくなった会社員など、これらはコロナ禍のストレスによるメンタルヘルスの不調が原因かもしれません。このような問題に適切に対処するためには、コロナ禍が精神的にどのような影響を与え、どのようなことがそのリスクとなるかを正確に理解する必要があります。
 コロナ禍で私たちのメンタルヘルスがどのように変化しているのか。これを明らかとするため、本研究では、コロナ禍直前に収集していた一般集団(総数3,935名)の様々な精神症状を約一年半にわたり追跡しました。複数の症状の変化をまとまり(主成分)単位でみることで、コロナ禍初期にピークを迎える「精神症状共通成分」と「不安・うつ気分の成分」、そして一年後に遅れて悪化のピークを迎える「社会からの隔絶成分」の存在が明らかとなりました。
 どうすればこのような悪化を防げるのでしょうか?私たちの解析で、男性と比較し、女性であることはすべての成分のリスク要因であることがわかりました。また、精神症状共通成分および不安・うつ気分の成分はコロナ禍における収入の減少がリスク要因でした。これに対して、社会からの隔絶成分の悪化は人との付き合い方によって左右されることが分かりました。これらのリスク要因を理解して対策を講じることで、コロナ禍で精神的に苦しむ人の増加を抑えることができる可能性があります。
背 景
 長引くコロナ禍のストレスは私たちのメンタルヘルスに様々な影響を与えます。外出制限・行動制限・休校・テレワークなど徐々にメンタルヘルスを蝕まれる生活にあって、コロナ禍は精神衛生上の危機を引き起こしかねないと専門家らも警鐘を鳴らしています(ⅰ)。感染への不安が強く、気疲れから抑うつ的になる人や、長期化するコロナ禍の中で社会とのつながりを断たれ、孤独感を紛らわせようと徐々にインターネットに依存していく人もいます。また、日本では自殺者の数がコロナ禍前と比べて増加しており、メンタルヘルスの不調との関連も指摘されています(ⅱ)。このように、コロナ禍では様々な問題が複雑に絡み合い、時間とともに変化しながら現れるようです。しかし、これまでの研究のほとんどは、一時点の個別の症状にのみ焦点を当てており、複数の時点でのメンタルヘルスへの影響の包括的な理解は不十分でした。精神的な不調は放置すると深刻な問題に発展する恐れがあるため、コロナ禍の時間的な影響を正確に理解し、適切な対策を講じる必要があります。これを実現するため、私たちは、比較的大規模なデータを取得して、様々な精神状態を連続的に複数時点で調査・検討しました。
研究内容
●コロナ禍における精神症状の変化
 コロナ禍直前に質問紙で取得していた様々な精神症状の推移を、パンデミック期間中に追跡調査することでコロナ禍が精神症状に与えた影響を調べました。質問紙はインターネット上で、コロナ禍直前の2019年12月からパンデミックの最中である2020年8月、12月、2021年4月にわたって行い、20~60歳代の男女3,935人から回答を得ました(うち2274人が全調査に参加)。調査した精神症状は、不安・抑うつ・インターネット依存・強迫性障害・アルコール依存・社交恐怖・社交回避・自閉症・ADHDの計9種類です。
●様々な精神症状に共通する成分の抽出
1つ1つの精神症状の変化を平均として見ると、コロナ禍ですべての症状が悪化しているわけではありませんが(図1)、抑うつ症状やアルコールの問題のように、悪化していない症状に着目する必要がないとは限りません。たとえば、ほとんどの人で(おそらくコロナ禍で飲酒の機会が奪われたことにより)アルコールの問題が減少したとしても、一部の人はコロナ禍によって高まった不安や落ち込んだ気分を紛らわすためにアルコールに依存しているかもしれません。この場合、アルコール単独で問題となることはなくても、不安や気分の落ち込みに連動したアルコールの問題は増えてくる可能性があります。このような連動して変化するまとまり(主成分)を取り出すため、得られた症状を「主成分分析」[1]という手法で解析しました。
 この手法により、コロナ禍における精神症状の変化は次の4つの成分に分けられました。すなわち、1)多くの精神症状の連動を取り出した「精神症状共通成分」、2)インターネット依存や社交不安といった「社会からの隔絶成分」、3)「アルコール関連の成分」、4)「不安・うつ気分の成分」です。コロナ禍では、これらのうち3つの成分が悪化し、それぞれ異なるタイミングでピークを迎えていました(図2)。「精神症状共通成分」と「不安・うつ気分の成分」はコロナ禍直後にピークを迎え、「社会からの隔絶成分」はコロナ禍初期から現在にかけて悪化を続けています。
 世界的にみると、厳しいロックダウンなどで多くの人が社会から隔絶した状態を余儀なくされています。このような状態が長引けば、通常の生活への復帰が難しくなり、「ひきこもり」にもつながりかねない、と世界精神医学会でも指摘しています(ⅲ)。コロナ禍前から、日本だけでなく国際的にも注目され始めていたひきこもりについて、コロナ禍の収束後も、慎重な見守りが必要です。
●それぞれの成分を悪化させるリスク
 それぞれの成分を悪化させるリスクを明らかとするため、一般化線形回帰分析[2]を行いました。その結果、男性と比べ女性ではコロナ禍で悪化した3つの成分すべてがより悪化しやすいことがわかりました。コロナ禍で女性に降りかかる身体的・精神的な負担の軽減が急務であるといえそうです。また、コロナ禍初期にピークを迎えた、「精神症状共通成分」と「不安・うつ気分の成分」はコロナ禍における収入減少に大きく影響され、徐々に悪化し続けている「社会からの隔絶成分」は人とのコミュニケーションの量を変化させている人や、雇用者や自営業といった職種に就いている人では悪化しにくいことがわかりました。「社会からの隔絶成分」における職種の重要性は、テレワークなどの勤務形態や同僚との繋がり方といった職場環境・人間関係の影響の大きさを窺わせます。
本研究の意義と今後の展望
 コロナ禍で私たちの精神状態にどのような影響があったのか、様々な精神症状を繰り返し観測することで、その全体像が明らかとなってきました。「コロナ禍が長引くにつれ、社交不安やインターネット依存の問題が出てくることが分かりました。」こう語るのはこの論文の著者で、熊本大学病院神経精神科の朴准教授です。「社交不安やインターネット依存は社会からの隔絶を引き起こし、社会からの隔絶は社交不安やインターネット依存を助長させます。こうした悪循環により問題が深刻になる前に、早めに対処する必要があります。テレワーク中もオンラインで顔合わせする機会を増やす、会う機会が減った家族とは定期的にテレビ電話をするなど、社会との繋がりを維持することが重要です。」とも指摘しています。
 コロナ禍の初期には経済政策が重要だったのに対し、今後は人と社会との繋がりを維持する施策や努力が重要であると示唆されます。今後の対策をより有効にするためにも、引き続き、コロナ禍がメンタルヘルスに与える影響を見守っていく必要があると思われます。
論文情報
Translational Psychiatry(トランスレーショナル・サイカイアトリー)誌
(英国時間・2021年11月11日午前1:00オンライン版公開)
Taiki Oka, Takatomi Kubo, Nao Kobayashi, Fumiya Nakai, Yuka Miyake, Toshitaka Hamamura, Masaru Honjo, Hiroyuki Toda, Shuken Boku, Tetsufumi Kanazawa, Masanori Nagamine, Aurelio Cortese, Minoru Takebayashi, Mitsuo Kawato, Toshinori Chiba.
“Multiple time measurements of multidimensional psychiatric states from immediately before the COVID-19 pandemic to one year later: a longitudinal online survey of the Japanese population.”Translational Psychiatry (2021).
DOI: https://doi.org/10.1038/s41398-021-01696-x
研究グループ
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR):岡大樹※1, 久保孝富,中井文哉※2,アウレリオ・コルテゼ,川人光男, 千葉俊周※3
※1 熊本大学と併任 ※2 奈良先端科学技術大学院大学と併任 ※3 神戸大学・自衛隊阪神病院と併任
KDDI株式会社:三宅佑果
株式会社KDDI総合研究所:小林直,浜村俊傑※4,本庄勝
※4 日本学術振興会特別研究員(PD)
熊本大学:竹林実,朴秀賢
大阪医科薬科大学:金沢徹文※5
※5 フローリー研究所(メルボルン大学)と併任
防衛医科大学:戸田裕之,長峯正典
研究支援
本研究は、KDDI共同研究契約の支援を受けています。本研究の一部は日本医療研究開発機構(AMED)戦略的国際脳科学研究推進プログラムの「脳科学とAI技術に基づく精神神経疾患の診断と治療技術開発とその応用」課題 JP21dm0307008 (研究代表者 川人光男)、防衛装備庁安全保障技術研究推進制度『潜在脳ダイナミクス推定法の開発と精神状態推移の解明と制御』(研究代表者 内部英治)の一環として行われました。
お問い合わせ先
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)経営統括部 企画・広報チーム
〒619-0288 京都府相楽郡精華町光台二丁目2番地2(けいはんな学研都市)
Tel: 0774-95-1176, Fax: 0774-95-1178, E-mail: pratr.jp
https://www.atr.jp/

<引用文献>
(ⅰ)World Health Organization “Mental health & COVID-19”
 https://www.who.int/teams/mental-health-and-substance-use/mental-health-and-covid-19
(ⅱ)Takanao Tanaka and Shohei Okamoto. “Increase in Suicide Following an Initial Decline during the COVID-19 Pandemic in Japan.”Nature Human Behaviour, 5 (2): 229-238 (2021).
(ⅲ)Maki Rooksby, Tadaaki Furuhashi, and Hamish J. McLeod. 2020. “Hikikomori: A Hidden Mental Health Need Following the COVID-19 Pandemic.“World Psychiatry: Official Journal of the World Psychiatric Association, 19 (3): 399-400 (2020)
補足説明
[1] 主成分分析
多変量データの次元を削減し、特徴的に変化している成分を発見する統計手法です。この解析によって、相関のある多次元なデータを、互いに相関のない少数の変数に統合することができます。PCAはPrincipal Component Analysisの略であり、多次元なデータが持つ情報をできるだけ失わずに、新たに統合された指標を作成する手法です。

[2] 一般化線形回帰
一般化線形モデルの特徴(目的変数が正規分布以外にも適用できる)モデルを用いて回帰分析を行う手法。この分析によって推定されたそれぞれの独立変数の係数の値から、目的変数への影響度を測ることができます。また、それぞれの独立変数の係数に着目して大小を比較することで、目的変数に最も高い影響を与える説明変数を探ることが可能です。本研究ではこの手法を用いて、それぞれの精神症状成分が悪化するリスク因子・保護因子を捉えることができました。