プレスリリース

2023年01月16日

株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)
注意散漫への気づきを高めるニューロフィードバック手法を開発
~気づきの能力が気づかないうちに高まる、新しい古典的条件づけ~

本研究成果のポイント
  • 脳波信号に人工知能技術を適用し、自身の注意散漫な状態(マインドワンダリング)に気がつく能力を高めるニューロフィードバック[1]手法の開発に成功しました。
  • 従来のニューロフィードバックとは異なり、古典的条件づけの原理をベースとしています。
  • 本研究結果は、創造性にも貢献するマインドワンダリングを単になくすのではなく、自分でコントロールできるようにするための介入方法につながることが期待されます。
1.概要
 川島一朔専任研究員、田中沙織室長(株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報通信総合研究所 認知機構研究所 数理知能研究室)らの研究グループは、自身が注意散漫な状態になっていること(マインドワンダリング)に気がつく能力を高めるニューロフィードバック[1]手法の開発に成功しました。このニューロフィードバック手法では、事前に人工知能(AI)へマインドワンダリング状態の脳波パターンを学習させます。実験参加者ごとに学習を行ったこのAIを用い、脳波からリアルタイムにマインドワンダリングの有無を推定します。マインドワンダリングしていると判定されると、参加者の注意を惹くような小さな音がスピーカーから鳴ります。このニューロフィードバック手法により、マインドワンダリングへ気がつく能力が有意に高まることが示されました。私たちの開発したニューロフィードバック手法は、「マインドワンダリングへの気づき」というこれまで操作できなかった特性を高める、はじめての技術です。この成果は、創造性にも貢献するマインドワンダリングを、自分でコントロールできるようにするための介入方法につながることが期待されます。この研究は、国際的な科学雑誌『Neural Networks』158号(2023年1月)に掲載されます(オンラインでは公開済み)。
2.背景
 車の運転、勉強、会議など、何かに集中しようとしているのに、知らず知らずのうちに注意が逸れてまったく別のことを考えてしまう- こういった心理現象は「マインドワンダリング」と呼ばれています。マインドワンダリングが日々の幸福度を下げる原因になるという研究結果が、2010年のScience誌1に掲載され、話題となりました。それ以降、マインドワンダリングへ頻繁に陥ることが、抑うつといった心理的問題に繋がるなど、マインドワンダリングのリスクが多く報告されてきました。同時に、マインドワンダリングの頻度を減らすことを試みた研究も見られるようになりました。
 一方で、マインドワンダリングが人の創造性に貢献することも示されています。マインドワンダリングによって本来無関係だったアイデアが繋がることで、創造的な思考が生まれるのだと考えられています。そのため、マインドワンダリングを単に減らすことから、上手に付き合うことへの目標転換が求められてきました。
 マインドワンダリングを制御するための第一歩が、マインドワンダリングへの気づきです。自分が今マインドワンダリングしていることにさえ気づくことができれば、それを続けたり止めたりすることに繋がります。実際、自身で気がつくことができれば、マインドワンダリングをしていても、心理的な悪影響を及ぼさないことが示されています2。私たちの開発したニューロフィードバック手法は、「マインドワンダリングへの気づき」というこれまで操作できなかった特性を高める、はじめての技術です。
3.研究内容
ニューロフィードバック手法の概要
 私たちの開発したニューロフィードバック手法では事前に、人工知能(AI)にマインドワンダリング状態の脳波パターンを学習させます。実験参加者ごとに学習を行ったこのAIを用い、脳波からリアルタイムにマインドワンダリングの有無を推定します。マインドワンダリングしていると判定されると、参加者の注意を惹くような小さなビープ音がスピーカーから鳴ります。これを続けると、「マインドワンダリングが生じると、注意が外へ向く」という古典的条件づけが成立します。注意の対象が自身のマインドワンダリングからそれて外環境へ向くと、その瞬間マインドワンダリングに気がつきやすくなるとされています。そのためこの条件づけによって、マインドワンダリングが始まるたびに、それに気づきやすい状態が作られるようになることが期待されます。
古典的条件づけの詳細
 私たちが目指した「マインドワンダリングが生じると、注意が外へ向く」という古典的条件づけについて、もう少し詳しく解説いたします。古典的条件づけの例としてよく知られている、イヌの実験の例を挙げます。イヌは一般に、エサを与えられると、唾液を分泌するという生理的反応をします。ここで、エサを与える前にベルの音を鳴らすようにします。このことを、エサとベルの音とを「対呈示する」と言います。エサとベルの対呈示を続けると、ベルの音と唾液分泌との間に条件づけが生じます。イヌは、エサがなくとも、ベルの音を聞くだけで唾液を分泌するようになるのです。
 本研究では、ベルの音とエサとを対呈示する代わりに、マインドワンダリングしている最中に特有な感覚とビープ音とを対呈示します。すると、ベルの音を聞いて唾液が出るように、マインドワンダリングが始まると、外環境へ注意が向くようになります。
 エサとベルの音を対呈示することは簡単です。しかし、マインドワンダリングはいつの間にか生じているものですから、その時の感覚を実験者から呈示することはできません。そこで我々は、被験者が自然に発生させたマインドワンダリングを脳波から検出し、それに合わせてビープ音を提示することで対呈示を試みました。
実験手続きと結果
 実験では、36名の実験参加者を対象に、20分間のニューロフィードバック介入を行いました。ニューロフィードバック介入において実験参加者は、注意を持続させることを求められる、簡単で単調な認知課題を行いました。この最中、各参加者において事前に学習させたAIを用いて、脳波からマインドワンダリングに陥っているかどうかを判定しました。実験群(20名)に対しては、マインドワンダリングしていると判定されると、スピーカーから小さなビープ音が鳴らされました。対照群(16名)に対しては、ランダムなタイミングでビープ音が鳴らされました。
 なお、群を問わずすべての参加者に対して、この研究の真の目的は伏せ、課題中の脳活動を測定するためのものだという偽りの説明をしました(実験終了後に真の目的やそれを伏せた理由を説明しました)。マインドワンダリングを推定してフィードバックしているとは伝えず、「ランダムなタイミングでビープ音が鳴るが、気にする必要はない」と伝えました。提示するビープ音の音量は実験参加者ごとに調整し、突然鳴動しても不快に感じない音量に設定しました。これらは、提示されるビープ音が、マインドワンダリングをしていることを咎めるような「罰」として働かないようにするための工夫です。「罰」が存在する場合、私たちの想定した古典的条件づけとは異なる機序が生じる可能性があります。群分けはプログラムで自動的に行い、どの参加者が対照群に割り振られているのか、実験者にわからないようにしました。
 ニューロフィードバック介入の直前直後に、マインドワンダリングへ気づく能力を査定する行動課題を行うとともに、その最中の脳波測定を行います。脳波からマイクロステートC[2]と呼ばれる脳活動パターンの出現頻度を算出し、これをマインドワンダリングへの気づきの神経指標としました。提案したニューロフィードバックが、対照群に行った無意味な介入と比較してより大きい介入効果を持つという仮説を、解析により検証しました。その結果、仮説通り統計的有意な介入効果が見られました。
研究の独創性
 この研究には、いくつかの独創的な点があります。まず、実験参加者は、自身がニューロフィードバックを受けたことを知らないまま、気づきの能力を高めています。実験参加者へは当初、真の研究目的やニューロフィードバックを行うことを伏せています。実験参加者はいわば、気づかないうちに気づきの能力を高めていたと言えます。
 また、古典的条件づけの原理を応用している点も独創的です。一般的なニューロフィードバックトレーニングでは、脳をうまく制御できるとなんらかの「ごほうび」を得られるように設計されます。しかし私たちのニューロフィードバックでは、「ごほうび」、あるいは同様の機能を持つ「罰」が生じることのないよう意図的に調整されています。その代わり、古典的条件づけの原理を用いて介入を行っています。この研究は、自身の神経活動情報を使った、新しい古典的条件づけを提案するものと言えます。
4.今後の展望
 提案した新しいニューロフィードバックの直後に、マインドワンダリングへ気づく能力が有意に高まることが示されました。しかし、この効果はほとんど持続しないと考えられます。エサとベルを対呈示して条件づけしたイヌも、しばらくベルの音だけを聞かせると、ベルの音を聞いても唾液を分泌しなくなります。これを条件づけの消去と呼びます。同じように実験参加者も、実験終了後はビープ音なしに繰り返しマインドワンダリングするようになります。すると、条件づけが消去され、ニューロフィードバックの効果はなくなってしまいます。今後は、このニューロフィードバックを数日間繰り返すことによって、気づきの能力を持続させられるか検証する予定です。
 マインドワンダリングへ気づくことで、マインドワンダリングからの悪影響を防ぐことができると考えられていることは先述のとおりですが、未だ詳しい検討はされていません。なぜなら、マインドワンダリングへの気づきを実験的に高める方法がこれまで存在しなかったためです。私たちのニューロフィードバック手法により一時的にでもマインドワンダリングへの気づきを高められることができれば、それによってどのようなメリットを得られるか検証することが可能になります。マインドワンダリングへの気づきが高まることで、抑うつ的な気分を緩和したり、創造性を高めたりすることを実証することができるのです。本研究を起点に研究が進展することで、私たちの心理的健康と創造性とを同時に向上させるトレーニングの開発が期待されます。
〈論文著者名とタイトル〉
【掲載誌】Neural Networks
【掲載日】2022年11月21日オンライン先行公開
【タイトル】Pavlovian-based neurofeedback enhances meta-awareness of mind-wandering
【著者】川島一朔(Kawashima I)a), 長濱澄(Nagahama T)b), 熊野宏昭(Kumano H)c), 百瀬桂子(Momose K)c),
田中沙織(Tanaka SC.)a),d)
a) 国際電気通信基礎技術研究所 (ATR) 認知機構研究所 数理知能研究室
b) 東北大学 大学院情報科学研究科
c) 早稲田大学 人間科学学術院
d) 奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 情報科学領域
【DOI】10.1016/j.neunet.2022.11.024
〈研究支援〉
 この研究はJSPS科研費JP18K13332およびJP21H05172、国立研究開発法人情報通信研究機構委託研究「脳機能補完による高齢者・障がい者の機能回復支援技術の研究開発」(18701)、防衛装備庁安全保障技術研究推進制度JPJ004596の支援を受けて実施されました。
〈お問い合わせ先〉
株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)経営統括部 企画・広報チーム
〒619-0288 京都府相楽郡精華町光台 2-2-2
Tel: 0774-95-1176, Fax: 0774-95-1178, E-mail: pratr.jp
https://www.atr.jp/

〈引用文献〉
1.Killingsworth, M. A. & Gilbert, D. T. A wandering mind is an unhappy mind. Science 330, 932-932 (2010).
2. Konjedi, S. & Maleeh, R. A closer look at the relationship between the default network, mind wandering, negative mood, and depression. Cognitive, Affective, & Behavioral Neuroscience 17, 697-711 (2017).
3.Britz, J., Van De Ville, D. & Michel, C. M. BOLD correlates of EEG topography reveal rapid resting-state network dynamics. NeuroImage 52, 1162-1170 (2010).
4.Hasenkamp, W. & Barsalou, L. W. Effects of meditation experience on functional connectivity of distributed brain networks. Frontiers in Human Neuroscience 6, 38-38 (2012).
〈用語説明〉
[1] ニューロフィードバック
訓練実施者の脳活動をリアルタイムに示すことで、脳の活動を自らコントロールする術を習得する訓練法。基本的に、何かの行動をしたあとに強化子(ごほうび)が得られることでその行動が持続するというオペラント条件づけの原理を基盤とする。

[2] マイクロステートC
0.1秒程度で変遷する脳電位パターンのうち一つ。顕著性ネットワークと呼ばれる神経回路を表象することを示した研究がある3。マインドワンダリングへの気づきが生じたときにこの顕著性ネットワークが活動することが示されている4 ことから、本研究では気づきの神経指標として用いられた。